| カール・ハウスホーファー(独 1869〜1946) |
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| ドイツ陸軍将校ハウスホーファーは、1919年からミュンヘン大学の地理ならびに軍事科学の部長となり、 |
| 地政学会を組織して、学者を集めて本格的に系統的地政学の研究を開始した。もともとドイツは統一国家を |
| 作るために大変な苦労をしているため、領土や国境線の引き方の問題をめぐって、地理・政治間の議論が
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| 盛んであったという歴史的、伝統的な事情がある。 |
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| ハウスホーファーは独創的な思想家ではなく、生存圏や生活空間の問題と、自給自足の問題を中心テーマに
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| 据えていた。ハウスホーファーの提唱した理論で注目すべきは、「統合地域論」である。 |
| (地球上を経線によって南北に分割したようなブロック経済モデルみたいなもの)
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| A.世界はやがて4つの統合地域に分割されるであろう。それは |
| 汎アメリカ統合地域(米国中心:南北アメリカ) |
| 汎ロシア統合地域(ソ連中心:インドを含む) |
| 汎アジア統合地域(日本中心:シナ、東南アジア、オーオトラリア) |
| ユーロアフリカ統合地域(ドイツ中心:欧州、アフリカ、中近東) |
| これらはいずれドイツによってひとつに統一されるであろう。 |
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| 現在、この予言は完全に外れたというべきである。 |
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| 統合地域論は、世界を南北軸によって4つの統合地域に分割し、それぞれが棲み分けるというものだ。 |
| ハウスホーファーの考えは、自らの出自たるドイツがその地理的位置によって、限定された空間に逼塞せざる |
| を得ない状況に追いやられ、民族の無意識な拡大への願望を理論化したものだった。自国民が生き残るため |
| の空間をどのように確保するべきか? 生存圏(レーベンスラウム)概念の背景には、そのような切実さはらん |
| でいた(このような考え方すら、地理的条件の影響を受けてしまうといえる)。 |
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| ハウスホーファーと日本の関係 |
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| 日本は明治の開国後、海軍はイギリスに学び、陸軍はフランス、ついでドイツに学んだ。 |
| そして1890年から1915年までの25年間に日本列島を軸とした海洋国家としての骨格を完成させていた。 |
| ところが、1917年に国家戦略の一大転換を迫られる事態が生じた。ロシア革命の勃発である。 |
| 各国と共同でシベリアへ出兵し、大陸内部へ介入する羽目になってしまった。 |
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| ハウスホーファーは1919年から本格的に研究を開始しており、また明治末年、日本に駐在していたことも |
| あって、ドイツ色の濃い日本陸軍とは親密な関係を築いていた。 |
| 第1次大戦後の外交的苦境を打開すべく模索を続けていた日本にとって、ハウスホーファーの「地政学」なる |
| 経典はまばゆく映ったものに違いない。 |
| 辛亥革命による清朝中国の崩壊とロシア革命の影響から、朝鮮半島と満州国をどのように維持するのか。 |
| 大陸へ向かうのか海洋へでるか。 |
| 当時の日本は、その地政学的戦略を巡って、真っ二つに割れてしまうことになる……。 |
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